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シンプリストな持ち物・Porter

シンプリストとミニマリスト。



 私は、ミニマルな生活を志向するというよりは、断捨離を繰り返していきながらも、多少は物があってもいいから好きなもの達だけに囲まれた生活、どちらかというとシンプリストな生活を求めています。

 例えば、財布。
 ミニマリストはどちらかというと極限のミニマルを志向するので、カードは1枚、小銭もお釣りのやりとり上の最低限となる枚数しか入らないようなもの、例えばアブラサスのような小さな財布に行き着くのだと思います。
 私の場合、カードは決済ブランド別で2枚持っていたいし、免許証も仕事の都合などから持ち歩きたい。また、結構病院にかかるので保険証や診察券、あるいは銀行のカードも持っていたい。出かける前に今日はどこそこにいくから、と財布の中身を入れ替えるのも有りでしょうが、その作業にも負担がありますから、ある程度大きめの財布にそうしたカード類をまとめて入れておいて、普段から持ち歩く方が理にかなっていたりします。もちろん、いつ使うか分からないようなものやレシートなどでぐちゃぐちゃな状態は気持ちよくありませんから、毎日帰ると整理整頓はします。それと、小銭入れを別にポケットに。コンビニなどでの細かい買い物の際に、鞄から財布を出し入れする面倒を省いて気持ちよく。

アウトレットな財布。たくさん入るよ。

 それから、私はPCをいじったり、ブラウズしたりするのが趣味の中心なのですが、ミニマリストの多くがノートPCに行き着くのに対し、デスクトップ、それもデュアルディスプレイで構成しています。ミニマリストがいわば「空間パフォーマンス」を第一に捉えるのに対して、私は操作性や性能のコストパフォーマンスを重視した結果、このようになったのだと思います。キーボードも軸にこだわってみたり、マウスもお気に入りの物を職場と自宅で2台持ちにしたり。

 好きなものや便利なものについてはある程度ボリュームがあっても構わないとして、増えることもいとわない、ただしそうした物達だけに囲まれて、それ以外の余計な物がない生活というのがシンプリストの生活なのかな、という気がしています。
 つまり、
・ミニマリストは余計な物を「真にコアの部分で好きなもの」以外削ぎ落とした状態と、そこに至る過程から得られる心の軽やかさや豊かさ
 を求めているのに対して、
・シンプリストは余計な物を「まあまあも含めて好きなもの」以外削ぎ落とした状態と、そこに至る過程から得られる心の軽やかさや豊かさ
 を求めているという違いがあるのではないかなぁ、というのが私なりの解釈です。

 両方に共通しているのは、余計な物を削ぎ落とすときに得られる空間や、それまでその物に置いていた心的なコストから自由になったという気持ちの良さでしょうか。
 定義は人それぞれなのでしょうけれども。
 皆さんはミニマルとシンプル、どちらを志向されていますか?


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